よどまず流れるように|身体の回復を邪魔しないという考え方
身体のことを考えていると、
「何が悪いのだろう」
「どうすれば早く治るのだろう」
「もっと頑張って整えなければいけないのだろうか」
と思うことがあるかもしれません。
不調がつらい時ほど、何とかしたい気持ちは強くなります。
それは自然なことだと思います。
ただ、身体を見ていると、
無理に変えようとしすぎることが、かえって回復の邪魔になることもある
と感じることがあります。
私はそのような時、身体の状態を、
「よどまず流れているかどうか」
という感覚で見ることがあります。
ここでいう「流れ」とは、医学的な意味で何か一つを指しているわけではありません。
血流だけでもなく、気持ちだけでもなく、神経だけでもありません。
呼吸、動き、筋肉の緊張、疲労のたまり方、気持ちの張りつめ方。
そうしたものが必要以上に滞らず、少し余裕を持って保たれている状態を、私は「流れがよい」と感じることがあります。
よどみが少ない時、身体は少し楽になりやすい
川の水も、無理に押し流しているから流れているのではありません。
大きな石や、せき止めるものが少なければ、自然に流れていきます。

身体も少し似ているように感じます。
無理なく眠れている。
呼吸が浅くなりすぎていない。
身体のどこかにずっと力が入り続けているわけではない。
不安や緊張にずっと引っぱられていない。
そのように、流れをせき止めるような負担や緊張が少ない時には、身体は少し楽な方向へ向かいやすくなります。
もちろん、これだけで全ての不調が説明できるわけではありません。
病気や怪我、炎症、神経の問題など、医療機関で確認すべきこともあります。
それでも、身体が回復していく土台を考えた時、
負担や緊張が強すぎないこと
は大切な要素の一つだと思っています。
身体の緊張は、いろいろなことから生まれます
身体がこわばる理由は、一つではありません。
疲労がたまっている。
睡眠が足りていない。
痛みが続いていて、無意識にかばっている。
仕事や人間関係で気を張っている。
不安が強く、身体が休まりにくい。
こうしたことが重なると、呼吸が浅くなったり、筋肉の力が抜けにくくなったり、少しの刺激にも敏感になったりすることがあります。
その結果、動きにくさやだるさ、痛みとして表れることもあります。
私は、こうした状態を見た時に、
「悪いところを一つ見つけて直せば終わり」
とは考えていません。
むしろ、
どこで身体が身構えているのか。
何が今の負担になっていそうか。
どこからなら少し緩められそうか。
を見ていくことが大切だと思っています。
心と身体は影響し合いますが、どちらか一つだけではありません
気持ちが落ち込んでいると、身体が重く感じることがあります。
反対に、身体の痛みが続くと、気分まで沈んでくることもあります。
このように、心と身体は互いに影響し合っています。
ただし、それを、
「気持ちの問題だからです」
「ネガティブだから痛いのです」
と一つに決めつけることはできません。
筋肉の緊張や疲労が関係していることもあります。
生活の負担が影響していることもあります。
病院で確認した方がよい問題が隠れていることもあります。
心と身体がつながっているということは、何でも心のせいにすることではなく、身体だけでも説明しきれないことがある、という意味だと思っています。
「早く治さなければ」と思い続けることもあります
不調が長引くと、
「早く治さなければ」
「このままでは困る」
「何とかしなければ」
という気持ちが強くなります。
これも当然のことです。
困っているのですから、そう思うのは自然です。
ただ、その思いが強くなり続けると、身体の変化をずっと監視するようになったり、少しの違和感にも強く反応したりして、かえって落ち着きにくくなることがあります。
これは、
「治りたいと思うことが悪い」
という意味ではありません。
そうではなく、
回復したい気持ちが強い時ほど、身体も心も張りつめやすいことがある
ということです。
だからこそ、回復を急ぎすぎるよりも、
少し休める時間をつくる。
身体のことばかり考え続けない時間を持つ。
今できることを少しずつ確かめる。
そのようなことが、結果として身体にとって助けになることもあります。
安心や心地よさも、大切な手がかりです
整体を受ける時にも、私は「安心できているか」を大切にしています。
どれだけ理屈が立派でも、
身体が怖がっている。
力が抜けない。
痛みを我慢している。
説明に納得できない。
そのような状態では、身体は身構えたままになりやすいからです。
反対に、
少し安心できる。
触れられて嫌な感じがしない。
無理をされていない。
話していて緊張しすぎない。
そうした感覚があると、身体の反応も変わってくることがあります。
施術では、身体の反応だけでなく、その方が今どのくらい緊張しているのか、話しやすそうか、触れられた時に身構えていないかといった雰囲気も含めて見ています。
身体の変化だけを追うのではなく、その方全体が少し力を抜ける方向を感じながら施術することもあります。
私は、整体とは「何かを無理に起こすこと」よりも、
身体が少し力を抜ける方向を探すこと
に近いのではないかと思っています。

福粋が大切にしているのは、回復を邪魔しにくい方向を探すことです
福粋では、
「あなたの原因はこれです」
「こうすれば必ずよくなります」
と最初から決めつけることはしていません。
お話を伺い、姿勢や動き、触れた時の反応などを見ながら、今の身体にとって負担が少ない方向を探していきます。
やさしく触れた時に少し呼吸がしやすくなるのか。
動かし方を変えると、身体の緊張が少し変わるのか。
施術後に、立ちやすさや動きやすさが出るのか。
そうした小さな反応を見ながら、
身体の回復を邪魔しているものを少しずつ減らせないか
を考えています。
整体で全てを解決できるとは限りません。
必要に応じて、医療機関での確認が優先されることもあります。
それでも、身体に回復の余地があるなら、無理に押し進めるのではなく、よどみを少なくする方向を探すことには意味があると思っています。
更に詳しく福粋が考える回復について書いています。
「回復の力」もご覧ください。
無理に健康になろうとしすぎなくてもよいのかもしれません
健康になろうとすると、つい「正しいこと」を探したくなることがあります。
何を食べるか。
どの運動がよいか。
何をやめるべきか。
どのくらい通えばよいか。
そうした情報が役立つこともあります。
ただ、健康を目指すことが、いつの間にか自分を追い込むことにつながってしまうこともあります。
今の身体に必要なのは、さらに頑張ることではなく、少し休むことかもしれません。
何かを足すことではなく、負担を減らすことかもしれません。
無理に流そうとするより、流れをせき止めているものを少し減らす。
よどまず流れるように。
それが、今の私が大切にしている、身体の見方の一つです。


