※この記事は、以前「カルマの山を越える『境界と静けさ』の実践ノート」として書いた内容を、現在の私の感じ方に合わせて見直したものです。
静けさを乱されたように感じるとき|自分の境界と反応を見つめる実践ノート
― 院長メッセージ・静けさシリーズ ―

日々の暮らしの中で、なぜか何度も強く反応してしまう出来事があります。
家族から言われたひと言。
誰かの物音。
自分の予定に入ってこられたように感じる瞬間。
静かにしていたい時に、外側から何かが入ってくる感覚。
出来事そのものは小さく見えても、自分の中では思った以上に大きな怒りや不快感が動くことがあります。
そんな時、以前の私は、
「これは何を教えようとしているのだろう?」
「何かのカルマなのだろうか?」
と、その出来事の意味を探そうとしていました。
今でも、家族から代々受け継いできたものや、自分の代で終わらせていくテーマのようなものがあるのかもしれない、と感じることはあります。
ただ、それが本当にカルマなのか。
その出来事の意味が何なのか。
そこまでは、私には分かりません。
だから今は、答えを急いで決めるよりも、
「私は、何にこんなに反応しているのだろう?」
と見ることを大切にしています。
この記事では、繰り返し気になる出来事に出会った時に、自分の中で何が起きているのかを静かに見ていく方法をまとめます。
出来事の「意味」より、自分の「反応」を見てみる
人から何かを言われて腹が立った時、私たちはつい相手の方を見ます。
「どうしてあんな言い方をするんだろう」
「なぜ何度言っても分からないんだろう」
「どうしてまた同じことが起こるんだろう」
もちろん、相手に問題があることもあります。
嫌なことを嫌だと思うことも、距離を取りたいと思うことも自然です。
ただ、少し時間が経ってから、こんなふうに自分へ問いかけてみることがあります。
私は、何にいちばん反応したのだろう?
言葉そのものだろうか。
自分の領域へ入ってこられた感じだろうか。
無視されたように感じたのだろうか。
自分の静けさを壊されたように感じたのだろうか。
すぐに答えが出るとは限りません。
むしろ、分からないことの方が多いかもしれません。
それでも構いません。
「分からないけれど、私はかなり反応している。」
まずそれだけ分かれば、十分なこともあります。
STEP1|何が起きたのかを、そのまま書いてみる
最初から意味を探すのではなく、まず起きたことだけを書きます。
たとえば、
- ● 母から○○と言われた
- ● 隣から大きな音が聞こえた
- ● 頼んでいないことをされた
- ● 自分の時間に急に予定が入った
この段階では、
「これはカルマだ」
「相手が私を試している」
「こういう意味がある」
などと答えを決めなくても大丈夫です。
まず、
「こういうことが起きて、私は反応した。」
そこから始めます。
STEP2|「何に反応したのだろう?」と問いかける
出来事を少し離れたところから眺めるようにして、自分に問いかけます。
- ● 私は、相手の何に反応したのだろう?
- ● その瞬間、何をされたように感じただろう?
- ● 自分のどこを守りたくなっただろう?
- ● 本当は、どうしてほしかったのだろう?
たとえば同じ「物音がうるさい」という出来事でも、反応している場所は人によって違います。
単純に音が不快なのかもしれません。
自分の空間に入ってこられたように感じるのかもしれません。
「静かにしてほしいと言っても聞いてもらえない」という、別の記憶につながっているのかもしれません。
何も出てこないこともあります。
その時は、無理に答えを作らず、
「今はまだ分からない。」
で止めておきます。
STEP3|身体の中では、何が起きているだろう?
次に、考えではなく身体の方へ目を向けてみます。
強く反応した場面を思い出した時、身体のどこに何を感じるでしょうか。
- ● 胸が詰まる
- ● みぞおちが重くなる
- ● 喉が締まる
- ● お腹が固くなる
- ● 肩に力が入る
- ● 顔や頭が熱くなる
- ● 身体全体が戦うような感じになる
「どこに感じなければいけない」という正解はありません。
何も感じないこともあります。
ただ、言葉だけで考えていた時には分からなかったことが、身体へ意識を向けた時に少し見えてくることがあります。
出来事の正体を当てることより、
その出来事に触れた時、自分の中で何が動くのかを見る。
今の私は、その方を大切にしています。
STEP4|「境界」が関係していないか見てみる
人に強く反応する時、そこに「境界」が関わっていることがあります。
ここでいう境界とは、難しいものではありません。
「ここまでは大丈夫。」
「ここから先は入ってほしくない。」
という、自分と相手との間にある感覚です。
たとえば、
- ● 今は話しかけてほしくない
- ● 自分の物を勝手に触ってほしくない
- ● 一人で考える時間がほしい
- ● 静かな場所では静かにしてほしい
- ● 自分で決めることに口を出してほしくない
こうしたものも、自分にとって大切な境界です。
境界を感じることは、相手を拒絶することとは少し違います。
自分がどこまでなら心地よくいられるのかを知ることでもあります。
強い怒りが出た時、
「私は何を守ろうとしているのだろう?」
と見てみると、その奥に自分にとって大切なものが見えてくることがあります。
STEP5|「カルマかもしれない」と感じても、決めつけなくていい
同じようなことが何度も繰り返されると、
「これは偶然ではないのでは?」
「家族から受け継いできた何かがあるのでは?」
「自分の代で終わらせるテーマなのでは?」
と感じることもあります。
私は、そうした感覚を否定する必要はないと思っています。
私自身も、家族との関係の中で、代々続いてきた何かが自分にも受け継がれているのではないか、と感じることがあります。
ただ、それがDNAの影響なのか、育った環境なのか、家族の中で繰り返されてきた考え方なのか、それとも私がカルマと呼んでいるようなものなのか。
そのすべてを区別して説明することはできません。
だから私は、
「もしかしたら、これなのかもしれない。」
くらいのところに置いておきます。
そして、本当に大切なのは名前を決めることではなく、
「もし自分の中で繰り返されているものがあるなら、私はこれからどうしたいのだろう?」
と見ることなのだと思っています。
STEP6|終わらせるとは、反応しなくなることではない
以前の私は、「このカルマを終わらせなければ」と考えることがありました。
でも今は、少し違います。
何かを終わらせるというのは、二度と怒らなくなることでも、何も感じなくなることでもないのかもしれません。
同じ出来事が起きた時に、
以前はただ怒りに飲み込まれていたところから、
「あ、私は今ここに反応している。」
と気づける。
そして、必要なら距離を取る。
嫌なことは嫌だと伝える。
今日は何もしないでそのままにしておく。
そうやって、以前とは少し違う選択ができるようになる。
それも一つの「終わり方」なのかもしれません。
STEP7|静けさへ戻るための小さな行動を一つ
最後に、その日できそうな小さな行動を一つだけ選びます。
たとえば、
- ● 反応した直後には答えを出さず、少し時間を置く
- ● 胸やお腹に手を当てて、今の感覚だけを見てみる
- ● 嫌だったことをノートに一行だけ書く
- ● 必要なら、その場から少し離れる
- ● 「私は何を守ろうとしたんだろう?」と一度だけ自分に聞く
- ● 答えが出なければ「今日は分からない」で終える
自分を変えようとしなくても大丈夫です。
怒りを消そうとしなくても大丈夫です。
ほんの少し、自分の中で起きていることに気づくだけでも、以前とは違う場所に立てることがあります。
山は、越えるものではなく眺めるものかもしれない
以前、私はこの記事を「カルマの山を越える」と表現していました。
今あらためて考えると、山は必ずしも急いで越えるものではないのかもしれません。
少し離れたところから、
「あそこに何かあるな。」
と眺める。
近づいてみて、今日は進めそうなら進む。
重ければ、そこで休む。
何の山なのか分からなければ、分からないままにしておく。
そんな関わり方でもいいのだと思います。
「なぜこんなことが起こるのだろう?」から、
「この時、私は何に反応しているのだろう?」へ。
問いが変わると、見えるものも少し変わります。
おわりに
家族との関係や、人の言葉、物音などに強く反応する時、そこに何か意味があるのかもしれません。
カルマという言葉がしっくりくる人もいるでしょう。
過去の経験や、家族との関係、今まで守ってきた自分の境界が関係していることもあるかもしれません。
ただ、最初から一つに決めなくてもいいと思います。
私自身も、今は答えを急いで探すより、
「私は、何にこんなに反応しているのだろう?」
と、自分の中に起きていることを見るようになりました。
答えが出る日もあります。
何も分からない日もあります。
それでも、自分の反応に気づくことはできます。
そして、その中に、
本当は守りたかったもの。
もう我慢したくなかったこと。
静かにしていたかった自分。
そんなものが見えてくることがあります。
何かをすぐに終わらせなくてもいい。
まずは、山を少し離れたところから眺めるように、今の自分を眺めてみる。
そこから始めてもいいのだと思います。
